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光は粒子か波か

可視光の正確な性質は、何世紀もの間、人々を悩ませてきた謎であり、多くの科学者や哲学者は次の問いに答えようと努力してきました。それは、光は粒子か波か、というものです。

古代ピタゴラス学派のギリシャ人科学者たちが、目に見えるすべての物体は絶え間なく流れる粒子を発していると仮定した一方で、アリストテレスは、光は海の波のように進むと結論付けました。これらの考えは、長期にわたる数々の修正や大幅な発展を経たものの、ギリシャ人哲学者たちが確立した論争の本質は今日まで変わっていません。

粒子と波としての光を示した図

光の理論:粒子か波か

ある観点では、光は波のような性質を持つと考えられます。この場合の光は、静かな池の表面が投げ入れた石で乱され、さざ波が全体に広がっていくように、空間を進むエネルギーを生みます。別の観点では、光は絶え間なく流れる粒子で構成されると考えれられます。これは、庭の水やりホースのノズルからまかれる水の小さなしずくによく似ています。

過去数世紀の間、意見の一致は揺れ動き、ある期間は一方の説が優勢になるが、他方の説の証拠に覆されるという状況でした。20世紀の初頭にようやく、包括的な答えを出す十分に説得力のある証拠が集められ、誰もが驚いたことに両方の説が少なくとも一部は正しいと判明しました。

18世紀初め、光の性質を巡る議論により科学界が分裂し、それぞれが好む説の正当性について活発に論争が行われました。波動説に賛同する科学者のグループは、オランダ人のクリスチャン・ホイヘンスの発見に議論を集中させました。対する陣営は、アイザック・ニュートンのプリズム実験を光が粒子のシャワーとして進んだことの証拠として引用し、各粒子は何らかの手段で屈折、吸収、反射、回折、妨害されるまで直線的に進む、としました。

ニュートン自身は光の性質の粒子説に疑いを抱いているようではあったものの、科学界における彼の名声が絶大だったため、支持者たちは熾烈な論戦で他のあらゆる証拠を無視しました。

可視光物理学の先駆者、アイザック・ニュートンとクリスチャン・ホイヘンスの肖像画

光が持つ波のような性質の概念を基にしたホイヘンスの光の屈折理論は、あらゆる物質内の光の速度はその物質の屈折率に反比例する、と説きました。言い換えると、ホイヘンスの仮定では、物質によって「曲がる」、つまり屈折する光の量が多いほど、その物質内を横切る光の速度は遅くなります。彼の追随者たちにより、光が粒子の流れで構成されていた場合、反対の作用が起こると結論付けられました。これは、より密度の高い媒質に入る光は媒質内の分子に引き寄せられ、速度が低下するのではなく上昇すると考えられたためです。

この議論の完全な解決策は、さまざまな物質(空気やガラスなど)を通るとき光の速度を測定することでしたが、当時の装置ではその役目を果たせませんでした。光は、通り抜ける物質にかかわらず、同じ速度で移動すると見られていました。その後、ホイヘンスの理論の正しさを証明するために光の速度を十分な精度で測定できるようになるまで、150年以上かかりました。

アイザック・ニュートンの高い名声にもかかわらず、1700年代初めの多くの著名な科学者は、彼の粒子説に異を唱えました。光が粒子で構成されているなら、2本の光線が交わる際に一部の粒子が衝突し合い、光線にずれが生じるはずだという反論もありました。明らかにこのようなことは見られないため、光が個々の粒子で構成されるはずはない、と結論付けたのです。

粒子と波の屈折

屈折率の異なる2つの媒質間を光線が移動する際、最初の媒質から2番目の媒質へと進むと光線が屈折し、方向を変えます。このインタラクティブチュートリアルでは、透明な面を通って屈折する粒子と波の振る舞いを探ります。

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光の波動説

ホイヘンスは、自身の全知識を注いで1690年に発表した論文「Traité de la Lumière」の中で、空間を進む光波は、大気中と宇宙全体に存在する目に見えない謎の無重力物質エーテルに媒介される、と示しました。エーテルの探索には、最終的にその考えが葬られるまで、19世紀中に膨大な資源が消費されました。エーテル説は少なくとも1800年代終盤まで続きました。チャールズ・ホイートストンの提唱したモデルでは、エーテルが光伝播の方向に垂直に振動することで光波を運んでいると証明され、ジェームズ・クラーク・マクスウェルの精密なモデルでは、この目に見えない物質の構造が説明されました。

ホイヘンスは、エーテルが光と同じ方向に振動し、光波を運ぶ際にそれ自体が波を作り出すと信じていました。後に刊行された「ホイヘンスの原理」で、彼は波の各点がそれ自体のウェーブレットを生み、それらが合わさり波面を形成する仕組みを独創的に説明しました。ホイヘンスはこの考えを利用して屈折現象の詳細な理論を生み出したほか、光線が出会うときに互いに衝突しない理由を説明しました。

粒子と波の屈折を示した図

屈折率の異なる2つの媒質間を光線が移動する際、最初の媒質から2番目の媒質へと進むと光線が屈折し、方向を変えます。光線を構成するものが波か粒子かを判断するため、それぞれのモデルを考案して現象を説明することができます(図3)。

ホイヘンスの波動説によると、傾斜した各波面のごく一部は、波面の残りの部分が界面に到達する前に2番目の媒質に当たります。波面の残りの部分が最初の媒質内を移動し続ける一方で、この部分は2番目の媒質内を移動し始めますが、2番目の媒質の方が高い屈折率を持つため、移動速度は遅くなります。波面が2つの異なる速度で進んでいるため、2番目の媒質へと曲がり、伝搬の角度が変化します。

それに対して粒子説では、一方の媒質から別の媒質を通るときに光の粒子が方向を変える理由の説明がもっと難しくなります。この説の提唱者は、界面に垂直な方向に特別な力が働いて、2番目の媒質に入るときに粒子の速度が変化する、と説きます。この力の正確な性質は推論のままで、この説を証明する証拠は得られていません。

2つの説について別の優れた比較としては、光が滑らかな鏡面(鏡など)から反射するときに生じる違いがあります。波動説では、光源から発した光波はあらゆる方向に広がると考えます。鏡に当たった波は到達した角度に応じて反射しますが、前面に戻るそれぞれの波は反転画像を作ります(図4)。到達する波の形は、光源が鏡からどれくらい離れているかに強く依存します。近接した光源から発せられた光は、球状の大きく湾曲した波面を維持していますが、離れた光源からの光はより広がり、ほぼ平面の波面で鏡に当たります。

鏡で反射する粒子と波の様子を示した図

光が持つ粒子の性質は、屈折よりも反射現象に関して、格段に強くなります。光源が近いか遠いかにかかわらず、光源から発せられた光が粒子の流れとして鏡の表面に到達すると、滑らかな面からはね返ります(反射します)。 粒子は非常に小さいため、伝搬される光線に大量に含まれ、互いに密接して移動します。

粒子が鏡に当たるとさまざま点からはね返るため、光線内での順序は反射時に逆になり、図4に示すように反転画像が作られます。粒子説も波動説も、滑らかな面からの反射を十分説明しています。ただし粒子説では、表面が非常に粗い場合に、粒子がさまざまな角度ではね返り、光が散乱することも示唆しています。この説は実験的観察に極めて適合します。

鏡で反射する粒子と波

波動説と粒子説の優れた比較としては、光が滑らかな鏡面(鏡など)から反射するときに生じる違いがあります。このインタラクティブチュートリアルでは、滑らかな面で反射した粒子と波の振る舞いを探ります。

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また粒子と波は、物体の縁に当たると異なる振る舞いになり、影を作ります(図5)。ニュートンは1704年刊行の著書「Opticks」の中で、「光が曲がった道をたどることも、影に向かって曲がることも知られていない」と指摘しました。この概念は、光の粒子が必ず直線的に進むと提唱する粒子説に合致します。粒子が障壁の縁に当たると、障壁に阻害されていない粒子が直線的に進み続けるため影を投げかけ、縁の背後に広がることはできません。巨視的スケールではこの観察はほぼ正確ですが、もっと小さなスケールでの光の回折実験で得られる結果には合致しません。

粒子と波の回折を示した図

光が細いスリットを通ると、光線が広がって予想以上に幅広くなります。この根本的に重要な観察は、光の波動説の信頼性を大いに支えるものです。水面の波と同様に、物体に当たった光波は縁で曲がって、光線が直接照らさない影の領域に回り込みます。この振る舞いは、いかだの縁ではね返らずに縁を包み込む波に似ています。

ニュートンとホイヘンスがそれぞれの理論を唱えてから約100年後、イギリス人の物理学者トーマス・ヤングは、光が持つ波のような性質を強く裏付ける実験を行いました。ヤングは光が波から構成されると信じていたため、2本の光波が出会うとある種の干渉が発生すると推論しました。

この仮説を試すため、彼は単一の細いスリットの空いたスクリーンを使用して、太陽光からコヒーレント光線(位相をそろえて伝搬する波を持つ光)を作りました。太陽光がスリットに当たると、広がって、つまり回折して単一波面を作ります。この波面が2本の近接したスリットを持つ2番目のスクリーンを照らせる場合、互いに完全にそろった2つのコヒーレント光源が作られます(図6)。それぞれのスリットから2本のスリットの中間点まで進む光は、完全にそろって到達します。

作られる波は互いに強め合い、かなり大きな波になります。ただし、中心点のいずれか側にある点を考える場合、一方のスリットからの光が中心点の反対側にある2番目の点に到達するには、より長い距離を移動する必要があります。この2番目の点に近いスリットからの光は、遠いスリットからの光より前に到達するため、2つの波は互いにそろわずに打ち消し合い、暗部を作ります。

粒子と波の回折

入射角の変化が、エバネッセント波の強度に影響するほか、入射光の電場ベクトルの平行成分と垂直成分の関係に作用する様子を見てみましょう。

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推測したとおり、ヤングは2本のスリットから光波が広がる(回折する)と、互いに出会って重なり合うことを発見しました。場合によっては、この重なり合いで2つの波が正確にそろいます。それ以外の場合は、光波がややずれて、または完全にずれて結合します。

ヤングは、波がそろって出会うと、建設的干渉というプロセスにより互いに相加されることに気付きました。波がずれて出会うと、互いに打ち消し合い、相殺的干渉という現象が生じます。この2つの極端な状況の間に、さまざまな程度の建設的干渉と相殺的干渉が生じて、広い振幅スペクトルの波が作られます。ヤングは2本のスリットの後ろに一定の距離をおいて配置したスクリーン上で、干渉の作用を観察できました。回折した光は干渉により再結合されて、スクリーンの長さに沿って連続した明暗のを作ります。

ヤングの二重スリット実験における相殺的干渉と建設的干渉を示した図

ヤングが出した結論は重要に思えますが、当時は光の粒子説が圧倒的に信じられていたため、あまり受け入れられませんでした。ヤングは光の干渉の観察に加えて、光が持つさまざまな色は長さの異なる波から構成されると仮定しました。これは現在広く受け入れられている基本的な概念です。これに対して、粒子説の支持者は、さまざまな色が生じるのは粒子が異なる質量を持つか、異なる速度で進むためであると主張しました。

干渉の作用は光に限ったことではありません。プールや池の表面で生じた波はあらゆる方向に広がり、同じ振る舞いを経ます。2つの波がそろって出会うと、建設的干渉により相加し合って大きな波を作ります。ずれて衝突する波は、相殺的干渉により打ち消し合って、水面に水平な面を作ります。

交差する偏光板間の光線の振る舞いを詳しく調べると、光が持つ波のような性質のさらなる証拠が明らかになりました(図7)。偏光フィルターは、単一方向の光のみを通すというユニークな分子構造になっています。つまり、偏光板は特殊な分子のベネチアンブラインドと見なすことができ、偏光板内には単一方向に向いた小さな薄板が並んでいます。光線が偏光板に当たると、偏光方向に平行な光線のみが偏光板を通ることができます。2枚目の偏光板を1枚目の後ろに同じ向きで置いた場合、最初の偏光板を通った光は2枚目も通り抜けます。

二重スリット実験

二重スリット装置により回折された光波が干渉して再結合され、反射スクリーン上に暗部と明部の連続した縞が作られます。このチュートリアルでは、スリットの距離を調節して干渉縞を変化させることができます。

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しかし、2枚目の偏光板を少し回転させた場合、通り抜ける光の量が減ります。2枚目の偏光板が回転しているため、1枚目の偏光板に対して垂直の向きになり、1枚目の偏光板を通り抜けた光が2枚目を通り抜けることはありません。この作用は波動説で簡単に説明がつきますが、粒子説ではいくら頑張っても2枚目の偏光板で光が遮断される仕組みを説明できません。実際、粒子説は干渉と回折の説明には不十分です。同じ現象を明らかにする作用は後に発見されます。

偏光を利用して観察された作用は、光は伝搬方向に垂直の成分を持つ波で構成されているという概念を生み出すために重要な役割を果たしました。横方向の各成分は、通過させることも偏光板で遮断することもできる、特定の方向を向いています。偏光フィルターに平行な横方向の成分を持つ波だけが通り抜け、ほかのすべての波は遮断されます。

交差した偏光板を通る粒子と波を示した図

1800年代半ばまでに、科学者たちは光が持つ波のような性質についてますます確信を深めていましたが、まだ大きな疑問が1つ残っていました。光とはいったい何なのでしょうか?進展を見せたのは、イギリス人の物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェルにより、あらゆる形式の電磁放射線が連続したスペクトルを表し、真空中を186,000マイル/秒の速度で進むことが発見されたときでした。マクスウェルの発見は、粒子説に効果的なとどめを刺すものとなり、20世紀初頭までには、光や光学理論に関する基本的な疑問はようやく答えが出たように思われていました。

光の波動説に対する大きな打撃は、1880年代終わりに密かに生じていました。特定の条件下で、光によって複数の金属の原子から電子が放出されることを科学者たちが発見したのです(図8)。初めは不思議で説明のつかない現象でしかありませんでしたが、紫外光がさまざまな金属の原子の電子を放出して、正の電荷を生むことがすぐに明らかになりました。ドイツ人の物理学者フィリップ・レーナルトはこれらの観察に興味を抱き、光電効果と名付けました。レーナルトはプリズムを用いて白色光を構成色に分光し、各色それぞれを金属板に当てて電子を放出させました。

レーナルトは自身の発見に混乱し、驚きました。光の特定の波長(青色など)に対して、電子は定電位、つまり固定のエネルギー量を生み出しました。光の量を低下または増加させると、それに伴い放出される電子の数も減少または増加しますが、それぞれが保持するエネルギーは同じままでした。言い換えると、原子結合から抜け出た電子が持つエネルギーは、光の強度ではなく波長に依存していたのです。これは波動説から予想されるものと反対です。また、レーナルトは波長とエネルギーの関連性も発見しました。それは、波長が短いほど多くのエネルギーを持つ電子を生み出すというものでした。

光電効果を示した図

光と原子の関係の基礎が作られたのは1800年代初めのことで、ウィリアム・ハイド・ウォラストンの発見により、太陽光のスペクトルは途切れずに帯状に続く光ではなく、見えない数百の波長が含まれていることが分かりました。見えない波長に対応する500を超える細い線を、ドイツ人の物理学者ヨゼフ・フォン・フラウンホーファーがマッピングし、大きな隙間に文字を割り当てました。後に、その隙間は太陽の外層で原子によって特定の波長が吸収されることから生じることが分かりました。これらの観察は原子と光との関係を最初に見つけたものですが、その根本的な影響は当時は理解されませんでした。
 

光の粒子説

1905年、アルベルト・アインシュタインは、波動説を覆す証拠はないものの、光は実際に何らかの粒子の性質を持っていると唱えました。アインシュタインは自身の量子論を発展させる中で、金属の原子に付属する電子が特定の光量(当初は量子と呼ばれたが、後に光子に変更)を吸収し、抜け出るエネルギーを持つことを数学的に示しました。彼はまた、光子のエネルギーが波長に反比例するなら、波長が短いほどエネルギーの高い電子が作られるとも唱え、レーナルトの研究結果から仮説を生み出しました。

アインシュタインの理論は、1920年にアメリカ人の物理学者アーサー H コンプトンの実験によって強固なものになりました。コンプトンは、光子が運動量を持っていることを示しました。これは物質とエネルギーは置き換え可能であるという理論を支持するために欠かせないものです。同じころ、フランス人の科学者ルイ・ド・ブロイは、すべての物質と放射線は粒子と波の両方に似た性質を持っていると提唱しました。ド・ブロイはマックス・プランクにならい、質量とエネルギーに関するアインシュタインの有名な公式にプランクの定数を当てはめました。

E = mc2 = hν

ここで、Eは粒子のエネルギー、mは質量、cは光の速度、hはプランクの定数、νは周波数です。ド・ブロイの研究は波の周波数を粒子のエネルギーと質量に関連付けるもので、光が持つ波と粒子のような性質をどちらも最終的に説明できる、新たな分野の進展の基となりました。
 

光の二重性:粒子と波

量子力学が生まれたのは、電磁放射線が示す、現在は二重性と呼ばれる粒子と波の両方に似た振る舞いを説明するために、アインシュタイン、プランク、ド・ブロイ、ニールス・ボーア、エルヴィン・シュレーディンガーなどが研究した結果によるものです。光は粒子として振る舞うこともあれば、波として振る舞うこともあります。

この光の理論と振る舞いの補完的な役割(二重性)は、経験的に観察されているあらゆる既知の性質(屈折、反射、干渉、回折)から、偏光や光電効果の結果に至るまでを説明することができます。この光の性質は組み合わさって共に作用し、私たちに宇宙の美しさを見せてくれます。
 

寄稿者

Kenneth R. Spring - Scientific Consultant, Lusby, Maryland, 20657.

Michael W. Davidson - National High Magnetic Field Laboratory, 1800 East Paul Dirac Dr., The Florida State University, Tallahassee, Florida, 32310.

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